はじめに
愛犬や愛猫が母親になる――家庭でのペット出産は喜びと同時に大きな責任を伴います。妊娠・出産には専門的な準備が欠かせず、母体と新生児を守るには獣医師との連携が必須です。本稿では日本小動物獣医師会(JSAVA)や国際獣医繁殖学会(EVSSAR)のガイドラインを根拠に、交配計画から産後ケアまでを総合解説。初めてのブリーディングでも安心して臨めるよう、実例と最新エビデンスを交えてご紹介します。
第1章 交配前に確認すべきポイント
1-1. 遺伝疾患スクリーニング
交配を計画する前に遺伝性疾患の検査が必須です。例:ラブラドール・レトリーバーは股関節形成不全、メインクーンは肥大型心筋症(HCM)の遺伝子検査。異常遺伝子を回避することで、発症リスクを 90% 以上低減できます(EVSSAR 2023)。
1-2. ワクチン・寄生虫管理
母体抗体を胎児・授乳仔に移行させるため、コアワクチンを交配 1〜2 か月前までにブースター。フィラリア・ノミダニ駆除薬はプレミーティングから産後 8 週まで安全性が確認された製剤を使用。
1-3. 交配期のタイミング測定
犬:血中プロゲステロン検査で 5 ng/mL 付近が排卵。猫:交尾誘発排卵だが、エコーで卵巣follicle 4 mm 以上を確認。適切なタイミングは受胎率を 30%→85% に向上(JSAVA 2022)。
第2章 妊娠期の母体ケア(犬 63 日・猫 65 日平均)
2-1. 栄養計画と体重管理
胎児発育の 70% は妊娠後半に進むため、妊娠 5 週目までは通常フード、6 週目以降はエネルギー密度 1.5 倍の妊娠・授乳用フードへ。目標体重増加は成犬体重の 15〜20%。過体重は難産リスクを 2 倍にすると報告。
2-2. 運動とストレスコントロール
軽い散歩や遊びは筋力維持に役立つが、ジャンプや激しい訓練は流産の原因になることも。特に猫は環境変化に敏感で、巣作りスペースを早期に用意しストレスホルモン(コルチゾール)上昇を抑える。
2-3. 定期妊娠健診
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超音波検査:犬は妊娠 25 日、猫は 21 日で胎嚢確認。
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X 線:骨化が始まる 45 日以降に胎仔数確認。分娩準備品の数を把握可。
第3章 分娩の兆候と正常経過
3-1. 体温低下と行動変化
分娩 12〜24 時間前に直腸温が 1℃ 低下(犬:37.5→36.5℃ 目安)。巣作り・落ち着きのなさ・食欲低下がみられる。体温測定は 8 時間ごとに実施。
3-2. 正常分娩ステージ
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第 1 期(開口期):子宮収縮開始〜子宮口開大(6–12 時間)。
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第 2 期(排出期):子犬猫排出。1 頭目は 30 分〜2 時間、以降 10〜60 分間隔。
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第 3 期(後産期):胎盤排出と子宮収縮。
いずれも 30 分以上強い陣痛が続き胎仔が出ない、または緑色悪露が先に出る場合は帝王切開適応の可能性が高い。
3-3. 帝王切開の判断基準
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胎仔の心拍 <150 bpm(正常 180–220 bpm)が続く
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交配後 70 日を超え、陣痛が来ない
帝王切開は全麻+吸入麻酔が主流。母体術後の低血糖を防ぐため、ブドウ糖 5% 点滴を併用する。
第4章 新生児(0〜3 週)の健康管理
4-1. 体温・体重モニタリング
出生体温 35–37℃、1 週目で 37–38℃ に上昇。毎日同時刻に体重測定し、日増 5% 未満はミルク補助を検討。ラブラドール新生児で初週に体重が 1.7 倍未満の場合、死亡率が 12% から 35% へ増(Vet J 2021)。
4-2. 哺乳・栄養サポート
母乳は分娩直後 12 時間が初乳。免疫グロブリン吸収ピーク。哺乳不足は仔犬体重 10% 減で判定。犬猫用ミルクは 38℃ に温め、4 時間ごと給餌。
4-3. 低血糖・低体温対策
保温箱 30–32℃、湿度 60%。低血糖症状(鳴き止まない・無力)には 10% ブドウ糖 0.5 mL/100 g を口腔投与、改善しなければ直ちに獣医受診。
第5章 離乳〜社会化期(3〜8 週)
5-1. 離乳食導入
3 週齢で母乳+ウェット離乳食開始、5 週齢で固形比率 50%。カルシウム:リン比 1.2:1 維持が骨発育に最適。大型犬は過剰エネルギーで骨異形成リスク増。
5-2. 初回ワクチンと駆虫
母体抗体の影響を避け、生後 6–8 週でコアワクチン 1 回目。便検査で回虫陽性率 35%(日本犬猫寄生虫学会 2022)→ピランテル 10 mg/kg 単回投与。
5-3. 社会化トレーニング
音・人・異種動物への曝露は 8–12 週が感受期。良好な社会化は成犬の問題行動を 70% 減らすと言われています。実例:ブリーダーが 4 週齢から毎日新しい物音 CD を 5 分流し、譲渡後の恐怖吠えが平均 30→5 回/日に減少。
第6章 母体の産後ケア
6-1. 乳房と子宮の回復
産後 24 時間の母犬体温 39.5℃ 以下が正常。乳腺炎リスクは哺乳不均等・外傷。温湿布と抗生剤治療が標準。子宮復古は 3–4 週で完了、悪露が緑〜黒褐色から徐々に減少。悪臭・出血増は子宮内膜炎疑い。
6-2. 栄養需要のピーク
授乳期はメンテナンスエネルギーの 2.5〜3 倍。高エネルギー・高脂質フードへ切替え。水分摂取は平時の 2 倍近くに増えるため、複数のウオーターボウルを設置。
6-3. 産後の避妊手術
望まない多産を防ぐため、離乳後(6–8 週)に避妊手術を検討。乳腺腫瘍予防効果は初回発情前 0.5% →3 回発情後 26% と報告されているため、計画的繁殖以外は早期手術が推奨されます。
第7章 実例で学ぶ成功・トラブルシューティング
7-1. 成功例:ミニチュアダックス初産
交配前に PRA 遺伝子検査を実施、妊娠期から DHA 強化フードを採用。帝王切開適齢日を X 線胎仔数+プロゲステロンで予測、無事 5 頭を出産。新生仔は初週で平均体重 1.8 倍に。
7-2. トラブル例:スコティッシュフォールド難産
肥満妊娠で 5 頭中 2 頭が胎児過大。24 時間以上の微弱陣痛を放置し、胎児仮死で 1 頭死亡。肥満管理不足が主因。
まとめ
ペットの出産は生命を預かる重大イベントですが、計画的な準備と科学的管理でリスクを最小限にできます。
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交配前:遺伝子検査・ワクチン・適切な交配タイミング
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妊娠中:栄養・運動・定期健診と体重管理
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分娩:体温モニターと異常時の早期帝王切開判断
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新生児:体重・体温管理と初乳確保
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離乳期:バランス食・ワクチン・社会化
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母体:乳房ケアと高エネルギー食、計画的な避妊
獣医師と連携し、母犬・母猫と仔たちが健やかに成長する環境を整えましょう。